高校生18歳の時に、資金150ドルとベルボトム・ジーンズ20本をもとに小売業を体験し、ピープル・プレイスと呼ばれる小さなチェーン店を開いた。この時の経験から、人々が望んでもこの世に存在しない洋服があると気付き、独学でデザインを始めた。
1979年からファッションデザイナーに専念するためニューヨークシティーに移住し、フリーのデザイナーとして活躍。
1985年に最初のコレクションを発表。メンズウェア、ウィメンズウェア、ジーズウェア、チルドレンウェア、そして、フレグランスや、ホームコレクションと事業を拡大していく。
そして、ファッション界でトミーヒルフィガーは多くの名誉を与ることとなる。
1998年、ニューヨークシティのパーソンズ・デザイン学校の「Designer of the Year award」を受賞。
1995年には、アメリカ・ファッション・デザイナー協会による「Menswear Designer of the Year」を受賞。
同年、米音楽専門テレビ局VH1のファッションとミュージックの賞である「From the Catwalk to the Sidewalk」を受賞。
また、フレグランス業界でもっとも権威のある「FiFi Awards」を何度も獲得し、
2002年の11月には、ドイツのGQマガジンによる「International Designer of the Year award」を受賞。
さらに同年、彼の慈悲深い行為に対して、薬物乱用防止教育委員会が主催する「Future of America」という最も名誉ある賞を受賞。
1995年、青少年の健全な身体と知識の育成のためには、教育と文化的なプログラムが欠かせないとして、トミーヒルフィガー財団を設立。
また、ワシントンD.C.のマーチン・ルーサー・キングJr.メモリアルプロジェクト財団と名誉毀損に抗議する連盟におけるいくつかの慈善と設立に積極的に参加。
1998年にはニューヨーク市のパーソンズ・スクール・オブ・デザインから「デザイン・オブ・ザ・イヤー」賞が授与され、GQ誌から「メン・オブ・ザ・イヤー」に選出される。
1992年に会社を上場させ、2004年までに売上2000億円規模の企業までに成長。
2002年にGQ誌の「インターナショナル・デザイナー・オブ ザ・イヤー」にドイツで選ばれる。フレグランス業界においても、もっとも権威のある「フィフィ・アワード」を何度も獲得。
2008年にはSONY BMG Europeと提携してトミー ヒルフィガーオリジナルのオンライン音楽チャンネル「Tommy TV」を立ち上げる。2015年にはテニスプレイヤーのラファエル・ナダルがグローバル・ブランド・アンバサダーとして広告キャンペーンに登場。また同年ブランド30周年を記念して創始者の自叙伝が発行された。
トミーヒルフィガーの魅力は、カジュアルでありながらもフォーマルな上品さも兼ね備えており、スポーツにビジネスにと活躍の場を選ばない所にある。また、ヒップホップ等のミュージックシーンでの愛好者も多く、クラブ系のファッションにも取り入れられ人気を博している。
国、人種、職業に関係無く多くの人に愛されているブランドがトミーヒルフィガーとなっており、そのようなファッションと赤、白、青からなるトミーヒルフィガーのロゴは、いまや”オールアメリカンスピリット”のシンボルになっている。
トミー・ヒルフィガーのブランドのロゴ、赤、白、青は航海用の旗(フラッグ)をイメージして作られたもので、イニシャルの「T」と「H」をかたどって現在のマークとされている。
BRAND | トミーヒルフィガー |
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COUNTRY | アメリカ |
SINCE | 1984年 |
FOUNDER | トミー・ヒルフィガー |
CATEGORY | アパレル、アクセサリー、インテリアect |
URL | http://global.tommy.com/ |
SUPPLIER | ロサンゼルス(並行輸入) |
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