アメリカン・トラディショナルをベースにした
メリハリのあるラインとシンプルなシルエット、
キャリアを意識した機能的で
マスキュリンなデザイン
1962年、ニューヨークのマンハッタン・ハイスクールを卒業。ファッション工科大学(FIT)へ進学。大学卒業後は、ダン・ミルシュタイン・ハウス・オブ・デザインでアシスタントデザイナーとして勤務。
この頃、ある週末に、父が経営する食料品店で食べ物を袋に入れているとき、偶然に「ファミリー・サークル」誌を拾い、自分がデザインしたことのある女性のコートが掲載されているのを発見した。
その後コートとスーツのメーカなどをで働く。
1968年、友人バリー・シュワルツと2人で自身の名を冠したブランド「カルバン・クライン」を設立。このとき、シュワルツの父から1万ドルを借金し、女性用コートを中心とした既製服事業からスタート。
当初のラインは3着のドレスと6点のコートしかなかった。
ブティックは、セブンス・アベニューのヨーク・ホテルの小さな店であったが、ある日、このホテルで、ボンウィット・テーラー百貨店の商品部長ドン・ポブライエンが間違って6階に降り、彼のコート・ラインを目にしたのが成功の始まりである。この件で、カルバン・クラインはボンウィット・テーラー百貨店から5万ドルのオーダーを受けている。
1970年代、クラインは多角経営に乗り出す。1972年にスポーツウェア部門を設置し、同年3月には、化粧品・香水の会社を設立、写真家アーヴィング・ペンとのキャンペーンにも成功した。
1973年、最年少で「コティ賞」を受賞。以後1975年まで、3年連続この賞を受賞。
1975年には伊勢丹からアメリカ人デザイナーの第1号として彼の作品が日本で発売された。
1970年代後半以降は、ジーンズや下着なども手がける。とくにジーンズの広告キャンペーンではブルック・シールズを起用し「カルバンのジーンズと私の肌の間には何も入れない」と言ったことが反響を呼び、カルバンクラインのジーンズは一躍有名となる。
1980年代中期以降、カルバン・クライン社はコレクションのサンプルや使用素材などをカンザス州立大学へ寄付するなど、文化事業に対しても精力的な活躍を開始。
1983年、カウンシル賞を受賞。
1993年、レディース・メンズ両部門で「デザイナー・オブ・ジ・イヤー」受賞。
1995年には、ヨーロッパで最初のカルバンクライン・コレクションを開催した。
2003年 カルバン・クライン、デザイナーを引退。
2004年春夏コレクションより、フランシスコ・コスタがレディースコレクションのデザイナーを務め、イタロ・ズッケーリがメンズコレクションのデザイナーを勤める。2008年、フランシスコ・コスタがCFDAウィメンズデザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
2013年、セカンドラインであった『ckカルバン クライン』を『カルバン クライン プラチナムレーベル』と名称を変更し、ck時代に引き続きケヴィン・ケリガンがクリエイターディレクターに就任した。同じ年にジーンズ・アンダーウェアのライセンスを再取得する。2016年、フランシスコ・コスタとイタロ・ズッケーリ2人が、クリエイティブディレクターを退任し、翌2017年、ラフ・シモンズがチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任。2017年秋冬コレクションで新生カルバン クラインとして初コレクションが開催された。
カルバン・クラインは自らのファッションを「現代の女性と男性のための現代服」と定義している。天然繊維を好むクラインの作風はアメリカン・トラディショナルをベースにした機能的でマスキュリンなシンプルデザインが特徴。セパレーツの妙味を落ち着いた基本的なデザインでまとめ、シンプルさと着やすさにあふれた、ヨーロッパにはない機能性をもっている。「全てはカッティングから始まる」という言葉通り、ボディラインを強調した洗練されたシルエットがニューヨークのキャリアウーマンに受け入れられた。「働く女性」の普及の流れに乗るような形で成功。さらに近年の作風は、よりシンプルで洗練されたものとなってきている。よりファッショナブルなヤング向けブランド「CK」も人気がある。
BRAND | カルバンクライン |
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COUNTRY | アメリカ |
SINCE | 1968年 |
FOUNDER | カルバン・クライン、 バリー・K・シュワルツ |
CATEGORY | アパレル・下着・フレグランス・時計ect |
URL | http://www.calvinklein.com/ |
SUPPLIER | ロサンゼルス(並行輸入) |
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